山偉
さんの情報は
生没年不詳
山 偉(さん い、生没年不詳)は、北魏から東魏にかけての官僚。字は仲才。本貫は河南郡洛陽県。 山稚之の子として生まれた。父が営陵県令となると、父に従って営陵県に赴き、営陵の王恵に師事した。 孝明帝の初年、元匡が御史中尉となると、山偉はその下で侍御史を兼ねた。後に神武門をつかさどった。山偉の妻の従叔が羽林隊主となったが、殿門で直長を鞭打ったため、山偉はかれを弾劾する奏上をおこなった。国子助教に任じられ、員外郎・廷尉評に転じた。 六鎮の乱や隴西の乱が起こって世情が騒がしくなると、領軍の元叉は代以来の北人を積極的に登用して、かれらの不満を和らげようとした。山偉は上奏文を書いて、元叉の政策を賛美した。安豊王元延明や黄門郎の元順らが山偉を推薦したため、元叉は山偉を尚書僕射の元欽の下に召させて、尚書二千石郎を兼ねさせた。後に山偉は正式に尚書郎となった。起居注の修撰にあたった。尚書僕射の元順が選を兼ねる
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