坂東保長
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生没年不詳

坂東 保長(ばんどう やすなが、生没年不詳)は、安土桃山時代の人物。民部大輔、伊賀守を称した。 十河存保の子。 坂東長康著『阿波国守護職三好家略記』によれば、天正10年(1582年)9月、勝瑞から秋月村(阿波郡あるいは坂東郡)に移り住み、のちに坂東氏を称した。 妻:秋月城城主中務大夫の娘。 子・保久(五郎右衛門)は庄屋を務めた。その子孫は、代々「五郎右衛門」を称し、大庄屋として続いた。 家紋は、存保の馬印である轡紋を定紋とした。 一説には、三好長慶の叔父・三好康長(笑岩)ではないかともされる。保長は合戦に敗れて自刃する際、娘に軍資金を託した。娘はその資金で阿波市成当(なりとう)の部落を建設し、成当姫と称されたという。地元には子孫が建立した坂東伊賀守神社がある。 坂東長康 編『阿波国守護職三好家略記』坂東長康、1929年4月10日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndlj

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